毎日がゴミの日

はきだめ

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幕開けに相応しく、ポジティブな内容を書いてやろうかと思ったけど、あいにく私はそんなにポジティブじゃなくて、むしろネガティブに全属性を振り切った人間なので、まあ普通にネガティブな内容で開幕することとなる。

 

 

 

本当の自分ってなぁに?とかいう、知るかボケの一言で片付けられる質問を、あの頃の輝かしい僕たち私たちは、道徳だの国語だのの授業で死ぬほど投げかけられた。知るかボケ。

括弧付きの「わたし」とか、アイデンティティがどうとか、もううんざり。知るかボケ。

生きてる私が私だし、誰にも決められてたまるかよ、とかなんとか、当時の私は思っていた。

そう思うと、昔の私は自信に満ち溢れていたのだなあと、少し羨ましくなるけど。

 

 

しかしあの時にしっかりと考えなかったツケが、今になって襲ってきた。

本当の自分がわからなくなってきた。23にもなって悩む問題じゃねえことくらい、このちっぽけでど〜〜しようもない頭でも痛いほどにわかってんだけど、悩み事はそう簡単には消えてくれない。

 

皆の前でわっと目立って笑われて勢いがすごい、って言われるのが私なのか。

静かにまじめに仕事に取り組むのが私なのか。

1人が大好きで、誰に話しかけられようとも絶対に口を開かないのが私なのか。

大好きな人と一緒にいる時に、自分でもびっくりするくらい甘ったるい態度を出すのが私なのか。

 

もうわけわからん。

知るかボケ、で済ませたいんだけど、生憎この年齢になるとそうもいかないみたいで、私の中の赤ペン先生が「答えよ」とカチカチ赤ペンを鳴らしながらジリジリと迫ってくる。

 

どれも私だよ、当たり前なんだよ。

「俺は実は人格が何人もいるんだぜ」とかいう多重人格者でもない。ちゃんと全部私。意識あるし。全部私が覚えてる。

 

それでも、疑わずにいられない。

明るさの度合いが違うとかなら、「そりゃあ性格のボリューム調整くらいするわよね」で済むわよ。知るかボケで解決、赤ペン先生にもさっさと帰ってもらうわよ。

違うんだよ、もう。180度くるりくるりと変わるの。万華鏡。山の天気。すぐ変わるし変わりようが半端ない。自分でもびっくりする。

そんなだから、配属先のとある人に「被ってる猫が取れる日を楽しみにしています」とか言われちゃう。被ってねーよ。なんも被ってねえ。こちとら丸腰じゃ。

 

もうわからん。本気でわからん。

多分ちょっとしたら「もうみんなまとめて私!うるせえ!知るかボケ!悩む必要ねーよ!」っつって丸投げするフラグが立ってるわけだけど。

どれも私って言われると、「そうですね」と純度100%の同意を示すことは不可能だ。一つくらい嘘が、私のプライドが織り成した幻の私が、存在している気がしてならんのだ。

 

それが気持ち悪くてならん。

なんで自分のことなのに、わからんことがあるのか。

だって私だよ?あの言動もその言動も、全て私の仕業。

それなのに、どうして疑わねばならんのか。

 

生きるのが下手だから。

自分を信じてやることができない、自己肯定感最底辺の女だから。

きっとそうに違いない。だから色んな面を持った自分でさえ、魅力と捉えるんでなく、疑いの目を向けるんだ。

なあ、そうなんだろう?

やっぱり私の敵は自己肯定感なんだろう?

 

 

 

 

 

こうやって今思ってることを吐き出したとて、明日明後日の私は、この考えに純度100%の同意を向けるかと言われると、きっと答えはノーだし、寧ろ何考えてたか忘れている。

私がそういう奴ってことだけは、完全に信じられる。あぁ、皮肉なことよ。