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初めて喧嘩をした。いや、喧嘩とまではいってないけど、ちょっと険悪な雰囲気になった。あと1週間で付き合って半年。そんな時期に初喧嘩とは遅いのか早いのか。まあそんなことはどうでも良い。
一泊二日の箱根旅行に行った。
のんびり、プランも厳密には決めないゆるゆるとした旅行。私も先輩もそういう旅行の方が好きで、そういう物事における価値観は似てるところが多かった。
ただ、前々から合わないところがあることに薄々気がついてはいた。そりゃそうだ、全てが合致する人間なんて、自分以外にいるわけがない。血の繋がりのある親でさえ、私の全てと一緒かと言われたら、そんなことあるはずがないのだ。
効率主義。先輩は、無駄なことが嫌いだった。
私は先輩以外の男を知らないので、他のサンプリングがないのが厄介だが、それにしても先輩のそれは、私の周りの人間の群を抜いていると思う。何も考えずに行動するのも滅茶苦茶に嫌う。非常に論理的な思考の持ち主。
それに比べて私は、効率も大事とは思うが、楽しいと思うか、いいと思うかが一番と考える。いわば感情主義だ。ご存知の通り(?)論理的思考なんて持ち合わせちゃいない。
なんとも「男女」って感じの2人。そこがどうも私たちの大きな差異だと、ずっとずっと思っていた。
だからたまーに、相手の言動に不可解な気持ちを抱くこと、イライラすること、それが互いにあった。私は他人のイライラした気持ちには過敏ですごく気持ち悪くなってしまうので、(多いわけではないが)先輩がイライラする度に気になっていた。
ただそれに対していちいち反応する(例:怒ってる?とか聞いたりする)と逆効果ということは母親で知っていたので、スルーを繰り返した。自分の言動でその空気をどうにか良くしようとすることもあった。
「私だって、先輩のそういうところにイライラしてるけど、我慢してるのになあ。ちょっと露骨に出すのはなんなんだ?」なんてつい最近は思うこともあったけど、それなりに見て見ぬフリをしてきたつもりだ。
だが、それも限界を迎えた。
箱根旅行2日目。ロープウェイに乗って、大涌谷から芦ノ湖に向かっていた。芦ノ湖と大涌谷どっちの標高が高いのかわかんない的なことを私が言った。普通に考えれば、ロープウェイで大涌谷から芦ノ湖に下っているわけなのだから、大涌谷の方が高いなんて明白。ただ、優しくいつものように突っ込んでくれるかな、なんて淡い期待を持って、そんな「何も考えてない」アホ丸出しな発言をした。
そしたら、普通に考えてわかるでしょ、とまあイライラと馬鹿にした気持ちが混合した言い方で先輩が私に言った。きっとこの発言以外にも、先輩にとってはイライラする言動があったんだろう。それが溜まって凝固して。鋭い刃物のようにそれは私の心臓を突き破った。ちくちくと痛かった。
そんな言い方しなくてもいいじゃん、なんでそんなに怒るの、そこまで馬鹿にしなくてもいいじゃん。頭の中で巡り巡る感情的な言葉たち。でも、私は理性でそれらを抑えた。先輩のようなタイプの人間に感情でぶつかるのは野暮だと、なんとなく感づいたから。いつもみたいにヘラヘラと笑ってやり過ごせばいいんでしょう、と我慢した。
そうしたらそれもまた苛立たせたのか、トドメの一言。「そんなに何も考えてないと、この先一緒にいるのは無理だなあ」
言い方は優しかった。でも、目は笑ってはいなくて。大好きな人に言われるには、あまりにも辛かった。辛くて辛くて、もう何も言えなくて、そして私の悪い癖なのだが一周回って腹も立ってきて、頭の中で「あーもう無理だわ別れるしかねえか」とか考えた。
私は決して何も考えてないわけじゃない。私の言動の9割ほどは、ちゃんと意味があって、私の中で考え抜かれた結果のものなのだ。こうしたら相手が楽しいだろう、笑顔になってくれるだろう、不愉快じゃないだろう、それが私の考える軸で。感情的になってさえしなければ、眠かったり疲れてさえしてなければ、つまり理性がしっかりと仕事をしていれば、いつもそれを考えて最善を尽くしているつもりだ。
それに加えて、私は自分の考えを馬鹿にされるのが大嫌いな、高いプライドの持ち主。
「私なりに考えているのに何も考えてない」と「馬鹿にされた」。これだけでもう私を傷つけるには十分すぎた。
ただ、理性だけは辛うじて職務を全うしようとしていてくれたおかげで、そこで感情を露わにすることもなく。「さっきの発言は馬鹿でしたねー」と私なりに冷静に受け答えして、それからいつもみたいに他愛ない話をするようにした。ただ私の心はぐちゃぐちゃだった。イライラと悲しみと、もうなんかどうでもいいなあという虚無じみた気持ち。
海賊船に乗って、他のカップルが楽しそうにしている中、私たちはほぼ無言だった。
私は頭の中で色々考えていた。なんであんな馬鹿なこと言っちゃったんだろう。今は好きという気持ちがきっとお互いにあるからこれくらいで済んでるし我慢もできるけど、この気持ちがなくなっちゃったら終わりなんだろうなあ、あんな言い方ないじゃん、あのカップルの彼氏は私の馬鹿な発言にもあんな言い方しないんだろうなあ。
そうやって色々考えてた。途中先輩が私の異変(イライラ)に気づいた(私は目を合わせようとしてなかった)のであろう、ちょっかいをかけてきたけど、気づかぬふりをして先輩とは別方向を見ながら自分の世界に入り込んだ。
そのうち先輩が寝た(ふりだと思う)ので、先輩の方を見て、でもやっぱりすごく好きだし、どうしてこんな風になっちゃうんだろうなあ、今後もこんな感じだったら確実に別れちゃうよなあ、とか、ずっとずっと考えてたら涙が出て止まらなくなっちゃって。
先輩が眼を覚ます前に止めようと思ったけど、無理だった。バレないようそっぽ向いてたけど「外の景色がずっと変わらないね」って先輩が話しかけてきたから思わず振り返って見てしまって、「え!?どうした?」とぎょっとしていた。そりゃそうだわな。
先輩はそのまま私を無言で抱きしめるので、いい歳して人前で泣きじゃくってしまった。声は極力抑えたけど。
「俺はずっとこれからも一緒にいたいと思ったから、ああ言ったんだよ」
「…………ずっとモヤモヤしてて。私、嫌われちゃったらどうしようって。別れたくなんてないから、どうしようって」
その互いの一言ずつだけ、覚えている。
そのまま泣き止んで、表だけは何事もなかったかのように旅行を続けて、帰宅した。
ただ私はその道中、ずっとずっと考えていた。今はこれでいいかもしれん、でもずっと長くいる中でこんな形の喧嘩だったりすれ違いって、まずい気がする。互いに我慢してるだけじゃ、根本的な解決には繋がらない。本当に私はこの人と付き合っていて幸せになれるだろうか。
何より私と付き合っていてこの人は幸せになれるだろうか。
無駄なことが嫌いなのに、無駄なことをする私。
何も考えない言動が嫌いなのに、何も考えてない(ように見える)私。
そんな私と一緒にいて、これこそが無駄の極みじゃない。
私が唯一自分の長所だと思っているのは、面白い、何事もそれなりに文句を言わず楽しむってところだと思うんだけど、「面白いだろう」と考えてやったことが、「何も考えてない」と一瞥される。こんな辛いことはないし、長所が何もないアホな女。そんな私になんの価値があろうか?
そんなモヤモヤをずっと腹に抱えながら、先輩の家についた。お酒を飲みながらどうでもいい話をした。そしたら、「宿の予約してくれてありがとね」って言ってくれて、いえいえ、なんて言いながら、自然と「さっきの」につながる話になった。
「まあ、半年になるじゃん、長いこと付き合ってたらこう相手の欠点も見えてくるわけだよ」
「そうですね。私も先輩の欠点色々見えてきたしなあ」(精一杯明るく言っている)
「どこ?言っていいよ?」
「んー、その場ではあるけど忘れちゃうからなあ」
「俺もそうだよ」
「え?そんなにいっぱいあります?」
「多分感じ取ってないんだろうなってことが多々」
「先輩もイライラしてるときありますよね?なんとなくわかる」
「まああるねえ」
「そういう時はよくスルーしてます。うちの母親がイライラしてるときに何か言うと余計に腹立てる感じなので」
「スルーが正しいと思うよ。そういう受け手の問題もあるし」
「じゃあ先輩がイライラしてるなって時は、私が原因でなければスルーでいい感じ?気にしなくていいのかな」
「いや、全部(私が)原因だよ。原因もなくイラつかないから」
…………じゃああのイライラも、そのイライラも、私が全部全部原因だったわけ?「なんで怒ってんだろ?」って思ってたけど、私が全部悪いの?私だって、先輩の言動にイラつくなんて多々あるよ?全部我慢してんのに。嫌な雰囲気になるの嫌だから、私は我慢してんのにそっちはいいのかよ。
そうやって感情ぐるぐるさせてたせいで、またまた涙が止まらなくなってきちゃった。
「女は泣けばいいと思っているのが面倒」というネットの記事だったりを見ていたので、必死に見られまいと顔を伏せた。そのまま受け答えするけど、違和感ありまくり。
そのうち先輩がそっと私を抱きしめた。
「困るのがさあ、俺はもちが楽しそうにはしゃいでる姿が好きなことなんだよね」
そう。それは私がずっと引っかかっていたこと。
「面白い・楽しい」と、「何も考えてない」の紙一重なところ。
先輩は私の面白いところが好きだと言ってくれたけど、何も考えてないところが苛立つ原因で。
それってもう、蟻地獄じゃない?
「後から、あれなんであんなにイライラしたんだろうって反省することあって。俺も改善しようとしてるんだけど、ごめんね」
先輩は優しく、そう言った。
そうしたらもう涙がまたまた溢れて止まらなくなっちゃって。
「いや、私の方がごめんなさい。さっき泣いちゃった時も、ほんとは泣きたくなんてなかったし、今も泣きたくなんてないんです。面倒だって思われるのも嫌だし。でも滅茶苦茶考えてたら、泣けてきちゃって…
私、考えてないって言われたけど、私なりにすごい考えてて。だから、何も考えてないって言われても、どうしたらいいかわかんないんです。でも私、先輩とずっと一緒にいたいから。改善していきたい」
そんな感じのことを泣きながら言った。
そこから私が泣き止んで冷静になって、いろんな話をした。
私の考える軸は、相手が楽しいか否か。愉快か不愉快か。
先輩の考える軸は、相手の損得。楽しいか否かも大事だけど、相手が本当に楽しいかは分からないから、絶対的な価値の損か得かで動けば、害にはならないでしょ、とのこと(滅茶苦茶理にかなっている)。
そうやって考える軸が違ったら、たとえ自分で考えてるつもりでも相手にとっては考えてない、になるわけですよね、だから、基準の擦り合わせだったり、共有が必要なんだと思う、的なことを私が言ったら、まともなこと言ってるなあ、いつもそういう感じでいればいいのに、と言われた。出してないだけで、まじでいつもこういうこと考えてるからね、私。
もちは変な方向に考えるからなあ。マイナス思考とか、もし〜だったら、って考えるのって無駄じゃん?何か変わるわけでもないし。それならもっと違うこと考えてた方が有意義でしょ、と先輩が言う。わかってる。言葉ではわかってるんだが、何にせよ感情主義が邪魔をして論理的思考に走れないのだ。
でももちが、ちゃんと考えるようになって行動したら、最強じゃん?面白い上に考えられる。
俺はもちの明るくて元気なところ大好きだからね、とか言う。フォローがうまい。なにそれ。びっくりする!!
でもやっぱり、たった一泊二日なのに相手の嫌なところが見えてきてこんな感じになるんだから、夫婦生活ともなると色々と擦り合わせて支え合っていかなきゃいけないんだろうね、と先輩が言った。
こうやって話し合えて私は嬉しい。これからも、もし喧嘩したとしても後々にこうやって話し合いたい。感情抑えて我慢してたら絶対に良くないから。私は先輩とこれからも一緒に過ごしていきたいと本気で思ってますから…とか言ったかな。
初めて喧嘩みたいなのしたね、と先輩が笑いながら言った。これ喧嘩かな?、、、まあ喧嘩みたいなもんか。激しくはないけど。
23年間私がこうやって生きてきたように、先輩も全然違う関係で今まで生きてきて、当たり前ですけど価値観も全然違うじゃないですか。でもどれも正解不正解なんてなくて、他人が一緒に生きていくにはそれらを擦り合わせなきゃいけないんですよね。難しい。本当に。私頑張りますから、改善しますから、馬鹿なことを言っても、イライラせずどうか大目に見て欲しい、、笑
どうでしょうなあ笑
…………そんなこんなで、今回の箱根旅行は少なからず私たちに大きなターニングポイントになったのであった。
その夜は先輩の家に泊まったんだけど、起きたら「あれからもちに考えて欲しいことじっくり考えてたんだけど、眠いからまた今度いうね笑」と言われた。本当に先のことを考えてくれてるみたいで、心から嬉しかった。
ただ私には大きな課題が残る。
考えるようにならなきゃならないこと。いや、正しくは「論理的に」考えなきゃならないこと。仕事でもできていない論理的思考。実生活でも必要な時が来た。
馬鹿だなあとか、なにも考えてない、なんて、今まで誰にも言われたことがなくて。
私はあまり気を遣えないことについては自覚があったけど、空気を読むとか、無神経なことを言わないとか、そういうことはちゃんと気をつけてるつもりだったし。
私に色々考えて生きてきたつもりだった。
でもそれって、所詮女友達の前でだけ。「女」の前の私であって、「男」の前の私ではなかった。
男女問わず同じように、、、なんて口では言ってたけど、実際はそう容易くない。私は目の前の人間を、ただの人間としてみることなんてできない。男か女か。LGBTについて色々議論が飛び交うようになったこのご時世でも、私は性別というフィルターを外すなんてできなかった。
だから、知らぬ間に男女の前で態度が変わる。
女の友達の前では馬鹿なことを言いつつも、決して甘えることはしなかった。弱さを見せるのが嫌だった。
でも、初めて接したと言っても過言ではない「男」の先輩の前で、私は本当に馬鹿な女に成り下がった。
そもそも、私は賢くはない。それは重々承知だけれど、そんな私の中の最低点を更新していくが如く、私は愚かになっていった。別にそれは、先輩だからとかじゃない。きっと、男だからだ。私が今までこのポンコツさに気がつかなかったのは、私の世界に男がいなかったからだ。
それに、四六時中一緒にいた友達なんて私には存在しない。だからボロが出ずに済んでいた、あるいはボロが出ていても友達が我慢できる期間だったのかもしれない。迷惑をかけまくっていたのに、優しい友人たちは文句を言わずに付き合ってくれていたのかもしれない。
なんにせよ、私には自分のそういった欠点に対しての自覚がなかった。
母親も、私の悪いところを指摘してくれるとはいえ、私のように、いやそれ以上に非論理的な人間が論理的か否かなんてわかるはずもない。それに、私のことを無駄に賢いと信じきっているし、自分と自分の味方が絶対に正しいとさえ思っている。だからもし、「先輩と喧嘩してなにも考えてないってイライラされた」なんて言った暁には、「なんや偉そうに。お前はどうなんや?」とか平気で言うと思う。
私は別に、今回「だよね!自分もどうなのとか思うよね!?」と、同意を求めて愚痴を吐きたいわけではない。と言うよりむしろ、先輩を責められたら私がなにをするかわからない。勿論、イライラをぶつけた先輩が全く悪くないか、と言ったら私はそんなこと思ってないのだが、とにかく他人にどうこう言われたら気が済まない。だから、どうこう言うかもしれない母親には絶対に相談ができない。
今回も、こうして一人でブログにぶつけて整理して、、、
で終わるわけでもない。今回は、先輩がいる。私のその欠点を指摘してくれる、唯一の存在。
それを改善しようと一緒に歩んでくれるであろう、そんな存在の先輩が、いてくれる。
三つ子の魂百まで。私を形成しているこの性格をそう容易くは変えられないかもしれない。
面白いと言われるときの私は、脊髄で会話をしている。「何も考えてない」。反射的にラリーを返しているだけ。だから、考えるようになったなら、今の私は死んでしまうかもしれない。
「好き」「変わらないで」とさまざまな人に言われた私が、もう消えてしまうかもしれない。
でも、どうにかして、論理的になれたなら、それはそれで新たな面白い私が生まれるかもしれない。いや、きっと生まれる。
23年間、マイナス思考ばかりに磨きをかけながら生きてきて、有意義な思考はさっぱりな私だけれど、大きな大きなターニングポイント。頑張って這いつくばって、変わっていきたいと思う。
結婚も考えて付き合っていると、言ってくれた手前、全力で頑張るのみです。
少ない友人たちとももっといい関係になりたいし、仕事もできるようになりたい。
先輩がいてくれれば、欠点さえ長所に変えられら気がするから。…………なんか陳腐な歌詞みたいなこと言っちゃったね。